昨年国立近代美術館で福沢一郎の作品を見る 初め ぱっとみて 何だろうと思いつつ 通りすぎる 気になって戻ってきてじっくり見る 大きな空と台地 中心で二頭の牛が絡み合って塊になっている 背後に台地を耕す農民 作者の言で初夏のハルピンを訪れたとき 川遊びをする立派な体躯の ロシア人を見たのが発端になっているとのこと社会の大きなわくぐみ が変化する予兆のようなものを感覚的にとらえているのだろうか 個人の創作活動でありながら時を写すカガミのような存在を感じた。